江東区平野にある間宮林蔵のお墓です。場所は大江戸線・半蔵門線清澄白河駅の近くにあります。晩年林蔵は深川に住んでおり、そのご縁でこちらにお墓があるようです。
伊能忠敬に師事し、樺太に派遣され樺太が島であることを確認しました。伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」は林蔵の測量が生かされていると云われています。
その後密貿易調査の隠密活動に従事。文久11(1828)年林蔵の届出により、シーボルトと高橋景保との交流が明らかとなり、シーボルト事件の発端となります。
天保15(1844)年林蔵は深川蛤町で亡くなります。絵図を見ると大横川沿いにある細長い街並みだとわかります。
絵図に載っている黒船橋は現在清澄通りに架かっており、橋の下にある黒船稲荷神社も近くにあります。
参考文献
山本 博文「江戸時代 人名控 1000」小学館 (2007)